| 送信者 Phnom Penh |
今年初めて、東欧諸国と東南アジアという経済的レベルが比較的低いを地域をまわったわけやけれども、
どうしても、子供たちの笑顔が忘れられない。
特に、カンボジアの子たちの笑顔が
人に媚びたり、物売りをしていたり、street childrenだったとしても、たとえそこに陰があっても、本当に綺麗なキレイな心に響く笑顔を持っていたのはなぜ?
その笑顔が、俺の心を洗い流した感じがしたのはなぜ?
あの子達と笑い合っている時に、本当に飾らない自分らしい笑顔でいれたのはなぜ?
忘れられないのは、子供たちの笑顔というよりも、
あの自分の笑顔の時に感じた、自分の素直さかもしれない。
自分が自分らしくいることが、もはや快感に近いほど清々しかったのを覚えてる。
| 送信者 Unexpected ordnance disposal activity by JAMAS in Cambodia |
俺に物を売るのも忘れて、片言の英語で話して、お互いが笑って、バスの出発とともにバイバイした時の、子供たちの笑顔と俺の笑顔は、今まで日本でもイギリスでも見せた覚えがないようなものだった気がする。
日本の友達といる時とか、ルーマニアでも同じくらい素直に笑うとはいえ、あそこまで心の芯からの快感を得たことはないと思う。
ある人は、その国や地域の現状を日本などと比べて、ショックを受けて人生を変えていくけれども、
俺は自然と、そこにあるものを受け入れていくタイプやと思う。
カンボジアでは、誰が道路で寝てようが、子供が物乞いをしたりゴミを拾ってても、ショックを受けたり可哀想にと感傷に耽ることもなかった。
だからか、今まで途上国開発には今一つ現実味だったり、興味もやりがいも見つけずに来ている。
ただ、日本の子供たちの笑顔よりも、カンボジアの子供たちの笑顔の方が心に響いた気がしたのはなぜ?
そこに違いはあるの?
カンボジアの子供たちの笑顔のためなら生きても良い、そんな風に感じるのはなぜだろう?
それは、彼らを”貧しい”と思う部分があるから?
それは、彼らを”可哀想”と思う部分があるから?
それは、彼らを”純粋だ”と勝手に思うから?
それは、彼らを”美しい”と思うから?
なぜ、カンボジアにもう一度行きたいんやろう?
何が俺を呼ぶの?
俺は何がしたい?
開発って俺にとってなんや?
なつかしい歌が、なんかしっくりきた今日この頃。
| 送信者 Phnom Penh |
この子の向こうに見える虹は、どこに架かるんやろう?
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